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業界の鈴木宗男を目指すハカセによる鑑定レポート
ハカセによる麻雀プロ診断 | |||
鑑定される人 | 斉藤勝久プロ (日本プロ麻雀協会) |
鑑定する人 | 福地誠(ハカセ) |
今回の鑑定結果
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コメント 「ツキがなくなったらどうするの?」 |
■新世代麻雀バカの旗手として 文/福地誠: ●著者紹介● 『近代麻雀』誌に数多くの連載を持つ麻雀ライター。通称ハカセ。以前 は「数多くの連載を持つ」だったが、いまでは「いくつかの連載を持つ」となった。「 かつて連載を持っていた」になる日も近い? |
■麻雀バカ一代参上! |
斉藤勝久プロは「麻雀バカ一代」と呼ばれています。バカはバカでも麻雀バカであり 、しかも信念のあるバカといったニュアンスです。とある個人が作っているHPでは、こ んなふうに紹介されていました。 麻雀バカ一代。手順がメチャクチャであるが、いつのまにかテンパっていることがある。男気リーチが得意。 聞いた話では、多メンチャンに気がつかず、一発でツモったアガリ牌をそのままツモ切っ てしまったとか。プロでありながら麻雀はヘボというイメージですね。しか し実際に話をしてみると、いろいろ難しいことをいうのです。やはり戦術革命を起こしている一員なのだと感じさせられます。外見がバカっぽかった(失礼!)ために、麻雀 バカ一代としてキャラ化されただけなのかもしれません。 起床は5時半。趣味は家族サービス。息子の勇太郎君はいま4歳。肉体を鍛えてある ので家では裸。 斉藤プロのこういった日常を見てみると真人間といえそうです。しかし麻雀にハマっていく経緯 やプロになったきっかけを聞いてみたら、やはりただ者ではありませんでした。 斉藤「最初にフリー雀荘に行ったのは高校を出てすぐのときです。銀行で20万おろしていって、24時間打って全部負けちゃったんですよ」 これだけならよくある話でしょう(ホントか?)。斉藤プロがすごいのは次の日にま た20万おろして再挑戦したことです。 斉藤「次の日もずーっと打って10万の負け。3日目も行って5万の負けでした。それが4日目に1万の勝ちとなって、それから回収モードに入ったんです」 負けても負けても4日連続で挑戦したというのです。もちろん不眠不休です。そして この4日目以降は、フリー雀荘で大敗することはなかったのでした。こういう話を聞く と「麻雀バカ一代」そのものです。 斉藤「だけど、それからしばらくたってから新大久保にある亜門という雀荘で8連続ラスを引い たんですよ。フリー雀荘では二度目の大敗でした。悔しくて悔しくて、それが競技麻雀 系の店だったんで、それから競技麻雀に入りました」 そして埼玉県大宮市でフリー雀荘の従業員になって5年。このまま一生メンバーでは 嫌だと思い、プロになったとのこと。しかしバカっぽい外見も災いしたのか、プロ入り もスムーズにはいきませんでした。 斉藤「最高位戦に3回落ちて、雀鬼会に1回落ちて、Kプロの弟子募集にも落とされて 、やっと最高位戦に入ることができたのは27歳のときでしたねえ」 こうして麻雀バカ一代プロが誕生したのでした。 |
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