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■ランダムウォーク理論の謎

 アガリは実っていませんが、絵に描いたような展開の組み立てです。東場では自分の親以外は早回しして、南場に入ったら持ち点に応じて打ち筋をシフトしています。

 けれども方針が単純すぎる気もします。岸本プロは手作りの目標を1000点かマンガンかにスッパリ分けていて、3900点や5200点といった中堅手を育てようとはしていません。そうやってアガリを二極化すると、勝負手が実らない半荘は勝てないことになってしまいます。スピード優先が先に立ち、手牌が素材として大事に扱われていないと感じるのです。

 一般に上級者の麻雀は、展開作りもさることながら、打ちまわしの細部でも匠の技を感じさせます。打牌の選択にデリケートなバランス感覚が共存していることで職人的な匂いをかもし出すわけです。

 具体例を出してみましょう。東1局0本場に、岸本プロはこの手牌からをチーしました。

 チー ドラ

 これが焦ったチーであるという指摘はじつは正確ではなく、というのも、この手牌は序盤から789の三色に決め打っていたために、ここでチーした方が手っとり早いことになるのです。

 しかし、たとえば(上級者代表のようで恐縮ですが)ぼくだったら、配牌では789の三色と単なるピンフを天秤にかけて手を進め、この形にはなっていないのです。

 ツモ

 まずこの2巡目の段階でではなくを切りますから、はフリテンになりません。それは結果論にすぎないとしても、3巡目にをツモったところで789の三色は諦めてを切り出していきます。すると岸本プロがをチーした9巡目には、下のどちらかの牌姿となっているのです。

 岸本プロとはまったく違う手牌になっていることに驚かれると思います。この手牌変化は偶然だとしても、違いは配牌から789三色だけでなくメンタンピンも追うかどうかということでしょう。序盤から中盤にかけては、二股三股をかけるバランス感覚が手作りのキモであって、理想とする展開を頭のなかでは描いていても、その一方で目の前の手牌にはデリケートに対応していくのです。

 岸本プロの麻雀は狙いが単純なためにそういった繊細さとは無縁で、陰影がなく、オートマチックなベルトコンベアー麻雀という感じがします。麻雀の打ち方に何らかの理論的モデルを持ち込みたい心情には共感できるのですが、そのモデルに強引さを感じるのです。

 といっても、ぼくの考える手作りが正解ともいいきれません。みんなが同じような打ち方をしているときはこれでいいのですが、出るポン見るチーのスピード勝負になったら、おそらく場の進行に乗り遅れてしまうでしょう。そんなときには岸本打法の方が適しています。

 株式投資の世界にランダムウォーク理論というものがあります。ランダムウォークとは「物事の過去の動きからは、将来の動きや方向性を予測することは不可能である」という意味で、単純にいうなら、すぐに値上がりしそうな株を買いたいと思ったとき、買う銘柄をプロの専門家が選んでも、目隠しした猿にダーツを投げさせて決めても、結果は変わらないということです。

 つまり専門家が複雑なチャートのパターン分析などしても結局は意味がないということですね。ぼく自身は株のことはさっぱりなので、この理論が正しいかどうかなんてわかりっこないのですが、この理屈はいろんなものに当てはまりそうだと思うわけです。専門家の難しげなゴタクにだまされるなということでしょう。

 株の理論まで持ち出して何がいいたいのかといいますと、つまりこういうことです。手作りのテクニックが使われない岸本打法は単純すぎると思うわけですが、それでは手作りする麻雀が強い麻雀なのかと考えてみますと、疑問を感じてしまうのです。手作りで勝負がつくのは中級までのことで、上級者の決着は手作りではつきません。ほとんど押し引きで決まります。

 となると、手作りは下手殺しの技術かということになりますが、その側面は強いのではないかと思うわけです。相手にスピードがないときだけ役に立つ技術、それが手役作りではないでしょうか。株の専門家がいうゴタクのようなものかもしれない、そんな気がしてしまうのです。

 つまるところ岸本プロの麻雀は、こんな考えから成り立っているように思います。麻雀の勝ち負けは、役を作ったかどうかでは決まらない。アガれるかアガれないか、振り込むか振り込まないか、そこで決まる。それならば役作りに惑わされず、本質の部分をストレートに追った方がいい。

 どうでしょう。理念としては納得できるのですが、実際に岸本プロの麻雀を見てみると抵抗を感じてしまうのです。こんなに単純化した麻雀で、いいのだろうか、と。


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